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★第92回      江戸の町は、八百八町なのか          ★


本日5月2日は、広い範囲で晴れて既に30度以上の真夏日となっている所も
あるようです。
緊急事態宣言の期間を、6日以降も延長する意向を安倍首相が表明し、
外出自粛で家庭で過ごすことも多いかもしれません。
室内でも熱中症対策を心がけ、体調管理に注意されてお過ごし下さい。


今回は、『江戸の町は、八百八町なのか』をお届け致します。


江戸甘味噌の「江戸」とは、江戸時代と江戸の町の両方の意味を持って名付け
られました。歴史的なお話は今までに色々と申し上げて参りましたが、今回は、
地理的なお話を致します。

江戸の町は、どの範囲まで、なのでしょう。
かつての江戸と呼ばれる地域は、思いの外、狭い地域です。初期の頃は、
「本郷もかねやすまでが、江戸の内」と川柳にあるくらいの狭さでした。
本郷のかねやすという雑貨屋が、江戸と郊外との境目だという川柳です。
現在でも「かねやす」は、本郷3丁目の交差点の角にビルがあり、先ほどの
川柳を書いた看板が壁にかかっています。

ここで、個人的に疑問に思って、調べたのですがわからなかったので疑問のまま
書きますが、この川柳の意味は、そのまま解釈すると「本郷は、江戸とその他の
地域が、混在していて、かねやすの場所までが江戸で、それより江戸城より遠く
なる(方角的に北に行く)と江戸ではない。」ここまでは、ウィキペディアにも、
同様のことが書いてあり、それを定めたのが大岡越前だとも書いてあります。

なぜ、そのようなことになったのかは、以下のとおりです。
「『かねやす』を興したのは初代・兼康祐悦(かねやす ゆうえつ)で、京都で
口中医をしていた。口中医というのは現代でいう歯医者である。
徳川家康が江戸入府した際に従って、江戸に移住し、口中医をしていた。

元禄年間に、歯磨き粉である「乳香散」を製造販売したところ、大いに人気を呼び
それをきっかけにして小間物店「兼康」を開業する。「乳香散」が爆発的に売れた
ため、当時の当主は弟にのれん分けをし、芝にもう一つの「兼康」を開店した。

同種の製品が他でも作られ、売上が伸び悩むようになると、本郷と芝の両店で
元祖争いが起こり、裁判となる。これを裁いたのは大岡忠相であった。
大岡は芝の店を「兼康」、本郷の店を「かねやす」とせよ、という処分を下した。
本郷の店がひらがななのはそのためである。その後、芝の店は廃業した。」
ウィキペディア『かねやす』より

これに対して、江戸の南限というか、南の端が芝であり、そこにも前述のとおり
「兼康」があり、南の端だけではなく、北の端もかねやすである。
という「も」ではないかと説を紹介するHPも見つけました。こちらでは、芝の店が
本店だと書いてあり、池田弥三郎・著「日本橋私記」にあるとしています。

なんの資料もなく、勝手に憶測を申し上げると、芝が本店とした方が、筋が通り
やすいと思います。なぜなら、人名より店名を名付けたのなら、漢字の「兼康」と
名付けるのではないかという単純な意見です。どちらの店も現在もあれば、両方の
意見を聞くと言う手もあったのでしょうが、今では、できません。

今だと同じ会社の赤羽営業所と蒲田営業所が、東京支店の名前を争うようなもの
なのでしょうか。大岡越前が、この裁定をしたのが、享保15年(1730年)で、
それからでも「かねやす」は同じ場所で300年近く続いているというのも、
すごいことだと思います。

江戸時代も時代を下るに従って、江戸は広がって行きましたが、東京都公文書館
HPの「江戸の範囲」によると文政元年(1818年)12月に老中阿部正精から
「書面伺之趣、別紙絵図朱引ノ内ヲ御府内ト相心得候様」と、幕府の正式見解が
示されたのです。

それでは、東・中川限り、西・神田上水限り、南・南品川町を含む目黒川辺、
北・荒川・石神井川下流限りとなっています。
現在の行政区画でいえば、1.千代田区、2.中央区、3.港区、4.新宿区、5.文京区、
6.台東区、7.墨田区、8.江東区、9.品川区の一部、10.目黒区の一部、11.渋谷区、
12.豊島区、13.北区の一部、14.板橋区の一部、15.練馬区の一部、16.荒川区
ということです。

東京の西側は、当時はあまり開けていなかったことが、わかります。
中野区も杉並区も世田谷区も入っていないからです。

そのHPには、江戸の町数は、延享年間(1744〜1747)には、1,678町になった。
とも書いてあります。

私は、「ウソ八百」が、大江戸八百八町から来ていると今まで思っていました。
江戸の町も八百より少ないのに八百八町と誇張して言っていると思っていました。
倍以上もあったとは、そうすると、ウソ八百も大したウソの数ではないということ
ですね。


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